またとてもよいTED Talkがあったのですが、日本語訳がまだありませんでした。でも!訳す時間がたっぷりあったので、スクリプトをもとに訳してみました。
『感情の敏捷性』の著者、ハーバード大学心理学博士のスーザン・デイビッドさん。ビジネス系の自己啓発で、強いリーダーシップには『感情の敏捷性』が必須だと紹介され人気があったようですね。彼女のトーク、「感情的勇気の贈り物とそのパワー」。
ここで話されていることはいつかお話したいなと思っていたのですが、自分の言葉でうまく表現ができなかったものです。『自分の感情を、特にネガティブな感情をジャッジせずに、あるがままに受け入れる』こと。これは、仕事だけではなく、体を治すのにも、自分と仲良くなるためにも、人とうまくやっていくためにも、よりよく生きていくためのとても重要なスキル。
ある種の心理療法や自己啓発的なスキルで、ネガティブな感情をポジティブな感情に置き換えたり上書きをすることがありますが、私はそれはあまり好きではありません。なぜならば、上書きや置き換えは、体の治療で例えると対症療法のようなもので、決して根本原因を治すことにはならないから。否認からは偽のものしか生まれないと思っています。外から見ると治ったように見えても、苦しみは中に残っていて、いつかまた表に出てきます。
体の病気も、病気と戦っているうちは治らないことが多く、病気を引き起こしている自分自身を受け入れることで初めて自己治癒力のスイッチが入ります。そんな人の体の中でも、一番自己治癒力が高いのが人の心です。本当の自分を見つめて、それを受け入れさえすれば、驚くほどの力を持って回復をします。
人生はいいこともあれば悪いこともあります。病気も、ネガティブな感情も、苦労も、弱さも、あるがまま受け入れていくことで、様々なことが起こる現実社会と折り合いをつけながら生きて行く強さが身につくと思っています。精神性は瞑想などをすることで高まるわけではありません。現実社会をどう生きて、辛いことをどう乗り越えていくかで、精神性も魂も磨かれていきます。
このトークの中ではいい言葉がたくさん出てきますが、それでも一番印象に残ったのはこの言葉。
”In seeing yourself, you are also able to see others, too.”
”あなた自身を見つめることで、他の人々の事も見つめる事ができるようになります。”
直訳するとこうなりますが、読んでいただくと言外に深い意味があることがわかります。
長いので3つに分けています。間違った訳もあると思いますが、全体のメッセージが伝わってくれたら、と思います。必要な人へ届いたら嬉しいです。
00:12 みなさん、こんにちは。
00:15 サウボナ。
00:08 私の出身地の南アフリカで「サウボナ」はズールー語の「こんにちは」という意味です。この言葉には美しく力強い意味があります。「サウボナ」を直訳すると、「私はあなたに会う、あなたと会うことで、あなたという存在を実存させます」。そんな風に挨拶をされて迎え入れられことを想像してみてください、とても美しいですね。けれども、そこで我々は自分達の中に何を見るのでしょうか?このひどく緊張感に満ち溢れ、複雑になった世界で生き抜き成功するための我々の思考、我々の感情、我々の物語でしょうか?
00:38 この非常に重要な質問が私のライフワークの中心です。私たちがどのように内なる自分とうまくやっていくかが全てをコントロールします。私たちがどのように愛し、どのように生き、どのように子育てをし、どのようにリードするか、それらに関わる物の見方や捉え方の全ての側面をです。良いか悪いか、ポジティブかネガティブか、など、感情を二極化した従来の捉え方は根強く存在します。「複雑さに直面した時の断固とした頑なさ」は中毒性があり有害ですらあります。真の回復力を得て目標達成し成功する力を得るためには、高度な「感情の敏捷性」が必要です。
01:11 この使命のための私のジャーニーは、大学の神聖な殿堂ではなく、ごちゃごちゃで面倒な現実のビジネスライフから始まりました。私はアパルトヘイトがあった南アフリカの「現実を見ない」という選択をしたコミュニティである白人生活地区で育ちました。見て見ぬふりをするという「現実の否認」は、人々が「何も悪いことはしていない」と自らを説得しながら、人種差別の法律を50年も生かし続けることを可能にしました。私は、「現実の否認」が自分の生まれた国に何をもたらすのかを理解する前に、自分の生活の中で「現実の否認」の破壊的な力を学びました。
01:49 私の父は金曜日に亡くなりました。父が42歳で、私が15歳の時です。母が私に「学校に行く前に父にさよならを言いに行きなさい」とささやきました。私はバックパックを下して、がんのために死の床についている父がいる家の中心部に行きました。父は目を閉じていましたが、私がそこにいることは父にはわかっていました。彼がいる場所では常に、私は彼に見て守られている感覚を感じられていたからです。私は父に愛してると伝え、さよならを言い、その場を離れて一日を過ごしに家を出ました。父がこの世から離れて行くのを感じながら、学校では、科学、数学、歴史、化学の授業が、漂うように流れていくのをやりすごしました。5月、7月、9月、11月と時間は流れ、普段通りの笑顔を浮かべながら、何事もなかったかのようにいつも通りに過ごしていました。ひとつも単位も落としていません。誰かに「どうしてる?大丈夫?」と聞かれれば、肩をすくませ「大丈夫よ」と言っていました。私は強いことを誉められ、「大丈夫であること」の達人になっていました。
02:46 しかし、家に帰ると悪戦苦闘の日々でした。病気の間、父は彼のビジネスを保持できておらず、母は大切な人を失った悲しみに嘆きながら、債権者がドアをノックする中、一人で3人の子供を育てていました。私たち家族は、財政的にも感情的にもぼろぼろになっていました。そして、私は孤立と断食のスパイラルにくるくると落ち込んでいきました。自分の痛みを麻痺させるために食べ物を利用し始め、過剰に食べては下剤で体から排泄することを繰り返すようになりました。自分の悲しみのありのままの重さを受け入れることを拒否するためです。私がそういう状態であったことは誰も知らなかったことで、この、無慈悲な「ポジティブさ」に価値を置く文化の中では、そんなことは誰も知りたくないだろうと私自身も思っていました。
03:27 しかし、この嘆きと悲しみへの私の勝利の物語を受け入れてくれない人がいました。8年生の時の国語の先生は、燃えるような青い目で空白のノートを私に渡しました。そして、「あなたが感じていることを書きなさい。ほんとうのことを。誰も読んでいないと思って書いて」と言いました。そのようにして、私はありのままの心の深い悲しみと痛みに触れる機会を得ました。30年前に空白のノートから始まったその革命が、現在の私のライフワークを形作っています。自分自身との無言の秘密の交流。私は硬直した否認の状態を体操選手のように乗り越えて、今私が「感情の敏捷性」と呼ぶ状態に入れるようになりました。
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