マナのセッションとカミングアウト

リラクゼーションルームマナの雅世さんのセッションのお話です。すごくプライベートな話ですがしちゃいます。

マナでは基本的には体の悩みを受け付けられているようですが、サイトの説明に「アカシックレコード」の言葉もあったので、「あ、この方は視れる方なのかな」とは思っていました。でも、キネシオロジーも使う。今回は諸事情あり、女性のキネシオロジストの方を急いで探していたので、即予約を入れました。

で、まぁ、聞くことと言ったらアトピーのことぐらいしかないわけですが、その話をセッションで聞いてみました。キネシオロジーで見る筋反射もリモートで行えるようです。

私のアトピーは2つのステージで分かれていて、30代からナチュロパスになると決めるまでの約7年間の初めのステージと、ナチュロパスになって日本に帰国してからのセカンドステージの約4年間。

最初のステージの最後には脱ステもして入院レベルの酷さまで行っています。7年間の最後の1年は究極にきていました。髪も眉も抜け、顔も変形し、体も腫れ上がり、節や接続部分が全部切れ、服や風が当たっても痒い、痛い。そして、かゆみと痛みでほとんど寝ていない1年。でも、そこから最終的に薬は使わず自力で直しました。で、治癒の途中でナチュロパシーを知って、ナチュロパスになる決心をしたと言う流れ。

その後は6年ほど完治しています。仕事ももっと忙しくなりましたがぶり返さず、その後のナチュロパス留学中、今までの人生で精神を引きずり込むほどの肉体的ストレスがかかった過酷な勉強の4年間にもアトピーは出ていません。綺麗さっぱり治り、またつんつるてんの皮膚に。バイト先で埃だらけの棚の掃除で手先にちょっと出ましたが、それもそのバイトをやめたらすぐに治りました。

ところが、帰国後、1週間でアトピーが少し出始め、そのあと今までずっと出たり引っ込んだりをまた繰り返しています。

最初のステージで一番悪化した時の酷さが10段階で10だとすると、セカンドステージは3〜6程度を行ったり来たり。出方は昔とは全く違います。毎回理由(アレルゲンなど)があるので、それに対処すると治るのですが、すぐにまた何かの理由でぶり返す、というのを繰り返しています。花粉皮膚炎も今までこんなに反応したことがないのに、ひどく反応しています。

あと、仕事柄、どうしてもあれもこれも試してみたくなり、人体実験でひどくしている、のも確か。

でも、このおかげでアトピー治療の机上の理論を超え、実際の日本の環境や食文化の影響に関して実体験でいろいろ学んだので、すごく良い経験ではありました。ナチュロパスとしての武器にもなり、実際、5年前のアトピーの処方箋と今の処方箋の内容は全く違います。クライアントさんには実績も出しています。

とはいえ、自分にはしつこく出てくる。良くなったり、悪くなったり、「なんじゃ、こりゃ」です、もう。動きを1/10に制限されている。十分にQOL(生活の質)は下がり、これさえなかったら多分今の10倍動いてるし、働いてるし、遊んでる。ずっと檻に入れられてる感じ。

と、まあ、こんな感じなので、聞いてみた。「なんですかね、これは?」

セッションで伺った話では、「最初のステージは、自分で自分を癒して治したと思っているけど、実は周りを癒していた」と。私は人とのエネルギー的な境界線のない人間で外のものを全部丸ごとそのまま受けてしまう、それがゆえに「ここが境界線だよ」と言うサインがアトピーで出ていた、と。

セカンドステージは、「今度は理由が全く異なり、スピの解放を促されている。お役目として、ナチュロパシーというエビデンスベース(科学的根拠に基づいた)のツールと、ヒーリング、いわゆるスピの融合をしなくてはいけない」と。で、スピの解放を拒んでいる私に対して、お尻を叩くためにいやらしくいやらしくアトピーの症状を出してる、と。

これ以外にも話の節々に出てくる言葉が、雅世さん、どこかで私の人生を見ていましたか?という感じ。

確かにこの2回は出方が全く異なり、また、対処も異なっています。実は、最初のアトピーはどうやって治したかというと、その頃はまだチュロパシーのことは知らなかったのですが、基本は食事。で、治癒のスタートは豊富温泉。豊富に1ヶ月滞在し一番酷い状態の爆発を鎮火させました。そこで炎症は全て治りました。その後、気功とヒーリング、食事と生姜茶、だけです。薬も、漢方も、サプリも一切とっていません。保湿クリームも使っていません。それで2年かけてゆっくり完全に治っていきました。

要するにヒーリングがメインだったんですね。この時の気功師もすごい方だったし、ヒーラーさんもすごい方で、カピカピだった私の魂に水を与え、栄養を与えてくれました。

よくよく思い出すと、確かに気功とヒーリングをし始めてから治り始めました。豊富の後に治り始めたので、治癒の一番のキーは豊富かと思っていたけど、実は豊富滞在中に一度東京に戻る機会があり、その時に初めてヒーラーさんに会いました。当時、ヒーラーさんからいただく宿題の中での自分の学びも大きく、自分のインナーチャイルドや魂も癒されていったので、それが治る要因だったと思っていました。でも、実は、癒していたのは周りだったの!?

当時のことを思い出すとすごくよくわかる。納得できることがたくさんあります。強力なヒーラー二人がかりの力が必要だったんですねぇ。

2回目は、すでにナチュロパスとなり、対処もわかっている中で、これでもか、これでもか、と出てくる、そこまでは悪くならない生殺しのようなアトピー。食事もクリーンで生活もクリーン、大きな人生の転換も終え、インナーチャイルドも癒し、自分の好きな仕事をストレスなしでやっている今、自分の体にはまだ出る。なんなんだこれは?と思っていました。

で、ここでカミングアウト。私の組成は100%スピで出来上がっており、その上にちょこんと脳みそが乗っかっていて、その脳みその部分だけ表向き見せている感じ。正直、実はドスピです。

別に隠しているわけではないですが、あえて言うほどのことでもなく。「なんとなくそうかな?とは思っていたけど」という人もいると思いますが。

私自身はサイキックではないですが、感受性は「勘弁してよ」と言うほど鋭く、小さい頃から生きてる人でも見えない人でも人の感情が入ってきてしまうので、生きづらいところがたくさんありました。一時期はちょっと大変な時期もありましたが、でも、だからと言ってどうしていいかはわからず、そういうものを見て見ぬ振りしてやってきていました。

周りには常に本物のサイキックの人たちや、気功マスターたちが当たり前のようにいて(ちなみに本物の気功マスターは気功ができるだけでなくいろいろ視れます)、そういう見えないものが当たり前の世界はいつもすぐそばにあって。

周りにそれだけすごい人たちがいたので、大変な時は助けてもらったりしながら、でも「自分はそういう能力は磨かなくてもいい」と思っていて、むしろ否定しようとしていました。のらりくらり、追い詰められないと前向きに取り組まなかったのですが、いろいろな出来事もあり、40過ぎてやっと自分の波長を上げてコントロールできるようにまではなったところ。

その後、シドニーでの4年間に自然界とつながり、そこから大きな力をもらい始めたのは確か。だいぶ波長をあげられるようになりました。雅世さんはそのことも知っていました。

確かに昔からいろんな人に「あなたはヒーラーになる」と言われてきてはいたけど、でも、ナチュロパスになり「私はナチュロパシーに専念する。ナチュロパシーというツールを通して人を癒すから、スピやエネルギーワークは得意な人にお任せする」とまた改めて自分で線引きしてたわけです。お役目終了!と思ってました。

だって、ものすごいお金と時間と労力かけてナチュロパスになったからそれで十分じゃん!ねえ?

でも、そうは問屋がおろさなかったらしい。この件に関しては自分でも意識して逃げていたので、雅世さんの言葉に思い当たるところがありすぎてびっくり。ま、結論、スピ解放してカミングアウトしないと、このアトピーは治らない、と。

というわけで、今、ここでカミングアウト。私、ドスピです。ゆくゆくは何かの形でヒーリングも取り入れてやっていきたいと思います。はい。ちゃんと頭も使いたいのでもちろんナチュロパシーのセッションも続けます。

今後、このブログでも化学よりの話もするけど、スピな話も入れていくことになると思います。びっくりしないでね。

さてさて、今後何を使ってエネルギーワークをしていくか。それは今後のお楽しみです。また準備が整ったらおしらせします。

みんな、引いて行かないでね〜

以上、カミングアウト編でした。今度ともどうぞよろしくお願いします。