日本、なぜそっちに向かう?

今日は気持ちのいいお天気。掃除がしやすい狭さと日当たりだけが取り柄のお部屋で今日のクライアントさんをお待ちしています。

昨日のお休みには万全の体制で拭きあげ掃除。ただいま、アトピー治療のためにヒスタミン防御キャンペーン中。ハウスダストにアレルギーがあり、掃除のたびにちょっと炎症が出てくるので、私が行き着いたお掃除ルック。

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完璧です。これ、花粉症用のメガネ。広いおでこも掃除中にかぶれることがあるので防御。これまで掃除のたびに、掃除の後に少しぎゅっとする感じ(ヒスタミンが体内で増えた感じ)があったのが全くなし。アレルギーはやはりアレルゲンの除去が最優先ですね。

ナチュロパシーとは全く関係ないのですが、先日ひっくり返りそうになった地下鉄(メトロ文化財団)の広告を発見。

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ここ数年、公共交通機関での道徳的広告やアナウンスが多いのが気になっていました。ちょっと「あれ?」と思うものもあったのですが、気のせいだろうとスルーしていたら、とうとうこんなものが。

要するに「電車の中で大声で喋るな」ということですが、しまいには英語で「You might be enjoying discussing a hot topic, but do you feel the cold stares from those around you?」。下には「When talking in the train, please be mindful of how loud you speak」。「周りの空気を読みましょう。」には「Please be considerate of others around you」。

お願いだからやめてほしい。恥ずかしすぎる。行くべき方向はそっちじゃない。

海外で生活をしたことのある人にはとても有名なことですが、日本は恥ずかしいほど、公共交通機関で、赤ちゃん連れ、老人、障害がある人に、席を譲ったり手助けをすることが、ほとんどできていません。本当に、恥ずかしいほどです。特に赤ちゃん連れ。

海外では、赤ちゃん連れの人が電車・バスに乗ってきたら、皆が『すぐに』移動して場所を空けて、ベビーカーを載せるのを手伝えるよう『すぐに』手を差しのべます。しかも、手を差し伸べる方も、席を譲る方も、お礼を言ってもらうことを全く期待していません。それくらい「当たり前」のこと。

一方、日本では、ご高齢の人が目の前に立っていても、寝てるフリかスマホを見てるフリ。杖をついている人がいても、席を譲る人もいなければ、席が空いても、杖で早く動けない人を出し抜いて、空いた席に着く健康な人。疲れているのかもしれないけど、小走りで席を取れるんだから、痛いとこはないでしょ?

あまりのひどさにちょっとびっくりします。

赤ちゃん連れのお母さんへの冷たい対応は周りから散々聞きます。席を譲らないのは当たり前で、少しでも泣いたりぐずったりすると「静かにしろ」と怒る周りの人たち。本当にありえないです。

みんな、自分が人の手を借りないと生きていられない赤ちゃんだった時代があることを忘れています。それにここが核家庭の多い東京っていうことも。孤独の中で子育てをしているお母さんたちは、どこの都市よりも社会や周りのサポートが必要。赤ちゃんは、家庭だけでなく、社会が育てるもの。この意識は、先進国と呼ばれる国では普通にある常識。

日本に帰ってきてすぐに、バスで隣に座ったお母さんがぐずって泣く赤ちゃんに困っていて、私は「あ〜、なんか痛いところがありそうな泣き方だな、お腹かな、どこかな」と、ちらっと赤ちゃんを見ながら思っていました。でも、赤ちゃんは理由があって泣くもの。泣いて当然。お母さんも困ってる様子。でも、声をかけたらただでさえ小さくなっているお母さんが余計に小さくなってしまいそうで、気を使って声はかけませんでした。私がちらっと赤ちゃんのことを見てたので私がイラついていたと思ったのか、そのお母さんがバスから降りるときにくるっと振り返り硬い表情で「すみませんでした」と深くお辞儀をして、逃げるようにバスを降りて行きました。それを見て、ものすごく悲しくなりました。きっと、普段、周りに心ないことをたくさん言われているのだと思います。

やはり、私がちょっと「おむつですかね〜、でも、なんだか痛いところがありそうな泣き方ですね〜」とか声をかけてあげていたら、彼女も少しリラックスできたのかもしれない。変に気を使わないで、声をかけたらよかった、とすごく反省しました。

しばらく日本に帰ってきていなかったので、余計に感じましたが、地下鉄のある地下街などで沈黙した大量の人々が移動する様はちょっと恐怖です。電車の中で誰かがちょっと喋っていると、ピンと周りの空気が緊張しているのがわかります。

おかしいから、これ。東京も昔はここまでじゃなかったと思うのですが...。

公共の広告で「声がけをしましょう」というのも見かけますが、声がけできる雰囲気じゃないです。ピリピリピリピリしています。しかも、別の広告では「喋っちゃいけない。空気読め」って言っているんだもの。

海外かぶれのようで「海外はああで、こうなのに」と言いたくありませんが、海外では知らない者同士が電車やバスの中でもよくしゃべるし、男性同士もよく喋ります。楽しそうに話をしていたら、楽しいエネルギーが周りに広がります。同じアジアでも日本以外は皆もう少しリラックスしています。東京だけ異様にピリピリイライラしかもひどい閉塞感。

オリンピックに向けて、東京のマナーも本腰入れて都がどうにかするんじゃないかと期待していたのですが、これはどうも違う方向に行っているような気がしてならないです。外国人にまで「空気読め」というのはちょっと....。

「声がけ」というのは、そもそも心に余裕がないと他人の事は気づかないからできないし、「緊張」からは怒りとフラストレーションしか生まれません。「声がけ」できる心の余裕を生む広告を増やしていってほしいなと思います。

せっかくの心地よい1日の始まりが...。ちょっとエネルギーを入れ替えま〜す。