心の緊張と身体の緊張 その1

最近少しバタバタとしていますが、通常通りコンサルテーションは順調に行なっています。最近はありがたいことに海外のクライアントさんも増えてきました。海外のクライアントさんもオーストラリアのサプリの購入は可能ですし、私の数ページにわたる処方箋も英語で書きます。

英語は喋る方はどんどんダメになってきていますが、幸い書く方はあの猛烈なアサインメント地獄の4年間で身についたのか、今でもとりあえずほとんど問題なくすらすらと書けているので助かっています。

喋る方はね、これは言い訳もあるのですが、プチ矯正をしたあとに上の歯の裏に針金をつけたままになっていて、そこに舌があたり、英語がうまくしゃべれなくなってしまいました。日本語も滑舌が悪くなってきていますが、英語の方が舌をたくさん動かすので影響が大きい。ゆっくりしゃべるといいんですが、ね。

今日は最近のコンサルで気づくことのお話。

いつも通りだいぶ長文になるので2回に分けます。でも、今長患いをされている方には大切なお話しな気がするので、お時間のあるときに読んでいただけたら。

去年後半ぐらいからでしょうか、1時間半のコンサルテーションでさまざまな身体の症状を聞いている中で、ふと、クライアントさんの心理状態が現れている症状を見つけることが増え、その糸を辿ると幼少期やティーンエイジャーの頃の心理状態や、大人になってからの心理的トラウマとつながることが多くなりました。

もちろん以前からあったのですが、最近はほぼ毎回「過去身についてしまった心身の緊張」につながることが多いです。

私は決して心理カウンセラーではないので、過去や現在の出来事を詳しく聞いたり、それをどう感じているのかなどは掘り下げません。ご自身でお話しされる場合はおまかせしますが、私から伺うのはストレス度だけ。症状が発生した時や、現在のストレス度がどの程度だかは確認します。

傷は癒えていれば自然に話せるようになりますし、話の中で出てこなければ癒えていない傷なので、準備ができていないものを無理矢理表に出させるようなことはしていないつもりです。

身体・心・精神のバランスを見るものの、やはりコンサルで聞くのは主に体の症状が中心で、処方も食養や栄養やハーブなど物理的なものの方が中心になります。フラワーエッセンスやホメオパシーの処方も毎回ではなく、もちろん、心理カウンセリングやエネルギーワークは行いません。

コンサルテーションの時は、私の個人としての意見や思考は消して、完全にバイアスを取り除き、ジャッジせず、お話を伺っています。自分の考えや思い込みが働くと、見えるべきものが見えなくなるのでできる限り「無」になって、完全にニュートラルな状態でお話を伺います。

考えるのはコンサルテーションが終わってまとめる時。情報が全部集まった後です。

なので、コンサルをしながら「あ、この方ストレスあるだろうな、きっと何かきついことがあってこうなってるのかな」などは一切考えていません。それは「自分の考え」なので。

それにも関わらず、あくまで淡々と症状がいつどのタイミングでどのように発生しているか聞くことを重ねていくと、様々な症状や心理との関連が引き出され、その中でも、ふと、深い心理状態につながるヒントが出てきてしまうのです。釣りのような感覚で、突然、ぴんっとひっかかる。「ん?この症状が出た時に緊張状態にありましたか?」と。

それらはたいてい主訴ではない、1時間聞いていないと聞き出せない小さな症状であることも多く。

そして「この症状が初めて出たのはいつですか?」とか「この症状が出たときと同じ心理状態だったことは人生の中でありますか?」と聞くと、ほんとうに意図せず問題の根源に繋がる感じです。

この瞬間って、クライアントさんご本人にも大きな気づきになっているんだろうなぁと感じます。具体的に何があったかは聞かないけれども、クライアントさんの頭の中で何かがつながっていっているのは見えます。

皆、人生を重ねてきて「今の出来事」にフォーカスしていますが、その大元の心理は、過去のほぼ忘れかけている心理状態と繋がっていることが多いです。大人になってからのトラウマもありますが、圧倒的にインナーチャイルドにつながっていることが多いような印象があります。

ナチュロパシーはホールパーソンをみるというコンセプトなので当然もともとその傾向はありましたが、明らかにコンサルで続々とそういうものが引き出され始めたのは、私自身が自分のエゴや心の緊張に改めて気づき始めた頃から。

私のエゴは、幼い頃に触れていた絶え間ない両親の喧嘩や、周りの大人たちが緊張の糸でピンと張り詰めている様子を敏感に感じ取っていた頃に、怖くて緊張している自分を守るためめに形成されたもののようです。愛してもらいたい、触れてもらいたいのに、どうふるまったらよいのかわからない。気を引きたいけれども、あの緊張したネガティブなエネルギーがこちらに向くと怖い、でも、無視されるよりはいい、こっちを向いてもらいたい、怖い、でも触って欲しい、怖いままでいいから触って欲しい。

戦後直後に育てられた両親の世代はとにかく生き延びるのが優先。整った環境で愛情豊かに育った人の方が少なく、自分自身が愛が不足した中で育てられ、不器用ながら一生懸命家庭を作ってきた世代だと思います。なので、親を責めることはできません。まだ子供の20代の頭で、何の後ろ盾もない都会の生活で、彼らも一生懸命だったのだから。

ただ、事実だけお伝えすると、そのように喧嘩が絶えず緊張した不安定な環境の中で育つと、大人の機嫌が自分の生存に関わるので、周りの状態に敏感になります。大人になっても緊張しやすく、また、周りの人の心理状態も敏感に感じ取るようになります。

こればかりは緊張した環境で育っていないひとはわからないもので、緊張した環境で育った人はすぐにあの永遠に続くのではないかと思われる逃げ場のない緊張感を思い出すのでは。

良い呼び方では「感受性が高く」、悪い言い方では「過剰に繊細」。今、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)が広く知れ渡っているのでイメージしやすいでしょう。決して、不安定な家庭で育つことがHSPを生むというわけではないですが。

不安定で緊張した家庭で育つと、恋愛においても無意識で緊張状態を求めてしまう傾向にあるようです。幼少期のように心拍数があがり緊張感を伴う恋愛や、激しく求められることが愛だと錯覚し、緊張状態に安心するという矛盾した状況を引き起こしてしまう。私も若い頃はそうだったように思います。

ぶつかっては傷つき、近づきすぎれば突き放す。安定というものの中での身の振り方がわからず、安定しそうになると「ほんとうに大丈夫なのか?」と石橋を叩き壊して「ほら、壊れたでしょ?」と。ぶつかり合った上で乗り越えて残るもの、両親が作り上げられなかった何かをどこかで期待する。そんなものは存在しないのに。

「不安定で緊張した家庭で育った子供」の典型です。

2に続く