愛と心のボリューム

今日は久々のお休み。今、ナチュロパスの仕事と、企業のパートタイムの仕事を掛け持ちしていて、平日と週末の境なく、昼間のオフィスのお仕事の後にナチュロパスの仕事を夜にしたりと時間の境もない日もあったりと、幾つかのスイッチをオンオフしながら日々を過ごしています。ナチュロパスのお仕事の方はそもそも仕事の線引きが難しいので、仕事とプライベートの境が更にぼんやり。

忙しそうに聞こえますが、どちらにもストレスがなく、パートタイムのお仕事もとても自由にやらせてもらっていて、自分的には無理がなくちょうど良いかな、という感じです。

でも、つい最近まで「二重人格的に生きてる?」と思っていました。スイッチもオンオフと書きましたが、スイッチで「ナチュロパスの心」をオンにしているのか。でも、そんなに器用ではないはずなので、それもなんだか違う気がして。実際、たまにとても息が苦しい時がある。確かに、都会の生活では、出せば出る触覚を普段は引っ込めて生きてはいます。でも、その触覚の問題でもない。

どうも、ボリュームの上げ下げをしているみたいです。

そう思ったのは先日の神戸・松山・東京の旅。あれは「愛と心の旅」と命名することに決まりました(内輪で)。連日、愛の人、心の人に出会ったからです。

そもそも、愛と心の人、しほちゃん麻佳ちゃんがずっと通して存在しているのですが、そんな旅の途中に新しい登場人物達が出現...

まずは、友人の紹介で知り合った、自然療法を治療に取り入れ、ホリスティック統合医療の講座まで作ってしまった大阪のラ・ヴィータメディカルクリニック院長の森嶌先生。日本ホロス臨床統合医療機構の理事をされています。広い視野から物事を見られている森嶌先生のビジョンを聞いていると、人を含めた自然全体への愛を感じます。ホロスの代表理事の想いでも語られています。患者さんを1人の人として本気で診られているからこその視点。

欧米では、西洋医学もしくは統合医療のお医者さまとナチュロパスが共同でワークすることもあるのですが、今の日本では、西洋医学のお医者さまが自然療法を取り入れるというのは、我々からは想像できないいろいろな逆風もあると思います。

お医者さまとエナジェティックメディシンの話を楽しくできる日が来るなんて!西洋医学を否定するわけでもなく、自然療法を否定するわけでもなく、クライアントが自分にとって最善のオプションを選べるチャンスを増やしてあげられる。ベストなのは、西洋医学と自然療法のそれぞれ良いところを、ケースバイケースで使い分けられること。

大げさに聞こえますが、本当に「生きててよかった、ナチュロパスになってよかった」と思った出会いでした。まだ時間はかかると思いますが、より良い世界が作れる可能性が見えただけでも嬉しい出来事。

次に出会ったのは神の手先生。しほちゃんのブログでも紹介されている松山の鍼灸整体師の治療家です。この先生は愛のかたまりでした。ちょっと、もう、一言では語れないのですが。一目見て、体の癖、心の癖がわかり、ものすごい大きな愛の力を与えてくれます。優秀な治療家は皆クライアントのその瞬間の体の状態は治せると思うのですが、でも、体や心の癖があるから、またすぐに元の状態に戻ってしまうのだと思います。そこに「お願いだから治して!」という豪速球の愛のパワーがどストライクで来る。癖はどんな治療家さんも治せない。治せるのは自分だけ。豪速球のパワーを受ける方も結構大変です。

治療という意味では、とにかく気がすごかった。気功の気。中国の気功マスターと同じ。気功もマスターになると治療以外にもいろいろなものがわかるようになるようですが、そのレベル。頭を触られているのに、下半身の気がホワッと浮いて動いたり、治療の後も自分の気がグルングルン体の外を半径1.5mぐらいで回っているのがわかります。そして治療後数日は歩くグラウンディングマシーンに。一歩歩くごとに地球とつながっちゃう。

ちょっと長くなりすぎるのでここでは書ききれませんが、体にも心にもいろいろな変化がありました。何よりも感じたのは、愛の力だからこそ人を動かせるんだな、と。

それから、最後の東京ではシモーン先生と一緒に共有できたナチュロパシーへの情熱と愛。これも伝達の根底に、情熱と愛があるかどうかで、どれだけの差がでるかがよく学べた出来事。

そして、一連を通じて再度深く認識させられたのは、私の応援団長のしほちゃんと麻佳ちゃんの大きくて深い愛情。今回実は神の手先生がしほちゃんの深い愛情を代弁してくれました。「しぃちゃん(しほちゃん)がわしに言わせるんじゃ」と私にあるアドバイス。ちょっと言葉の選択が荒い先生のセリフに、当のしほちゃんは「そんなこと思ってない」という風にキョトンとしていましたが、先生の口を通したら荒くなってしまった表現がもっとピュアで優しい形でしほちゃんの心にあるのは私がよ〜く知ってます。ボロボロ泣く私。こんなに信じて愛されているなんて、なんて幸せ者なんだろう、と。自分の恐怖心で目をつむっていた私に「目を開けろ」と愛のボールを投げてくれた神の手先生も心の人。そしてまた、麻佳ちゃんは別の方法で、「心」のあり方を示してくれ、大きなサポートを与えてくれています。「心」というものの重要性を認識させてくれ、それを分かち合える友人達、心の人達。なんて、幸せ者。

これ以外にも幾つか愛と心の存在を感じる出来事があり、語りつくせない「愛と心の旅」。

で、思いました。普段、この「愛と心」のボリュームの上げ下げをしているんだな、と。ナチュロパスの時はボリュームを少し上げないとうまくいきません。頭だけで仕事をすると見落としてしまうことがあったり、判断を誤ったりすることがあります。

一方、企業のお仕事などのドライな東京の生活では、「愛と心」とは対照的なものを求められる場所なので(と思っていたので)、このボリュームをあえて普段はゼロにしています。ふと、「あれ?もしかしたらそこまで下げないでいいのかも?」と、「愛と心の旅」の後に思えるようになりました。

昔の私はボリュームを下げて鎧をかぶらないとうまく現実社会とのバランスが取れなかったけど、でも、今の私はそこまでボリュームを下げなくてもやっていけるのかも?というか、ボリュームを上げながら普通に生きて行く方法を学ばないといけない段階に来たのか?この先は愛と心を前に出して生きて行くべきなのかも、と。

確かに、息が苦しくなるのはボリュームをゼロにし続けている時。神の手先生のお話の一つから過去から引きずっているものがまだあることに気づかされたりして。多分それを手放せば、できるのかも。

すでに一番好きなこと、ナチュロパシー、をライフワークにすると決めて人生を変えた私。今回、いろいろな形で愛と心に触れて自分の心にも響き、改めて、自分が「愛と心」のボリュームを上げても「与えることはあっても奪われるものは何もない。じゃあいいじゃん、出しちゃえば」と思えるようになってきました。

もともとそんなに愛を語るタイプではないのですが、さすがにこれだけ触れてしまうと無視できない流れ。なんだかとっても意味のある旅になりました。

あ〜、松山も近いし、神戸に住みたいなぁ。東京とうまく折り合いがついたら(今ちょっと生まれ故郷の東京と折り合いがつけられていないので)考えてみたいと思います。