待ちに待ちに待ったピーター・ドイグ展、芸術の秋を満喫

ピーター・ドイグは美術界では有名な、画家中の画家と呼ばれる現代の画家です。今年の2月から東京国立近代美術館で展覧会をやるということで去年の12月にすでにチケットぴあでチケットを買って楽しみに楽しみに待ってました。

ところが、コロナの感染が広まり、美術館はしばらく休館。展覧会の延長が決まり、やっと、展覧会が始まったかと思ったら自分がアトピーで行かれず。元気になって豊富から東京に戻るときに一番楽しみにしていたのがこのピーター・ドイグ展でした。

台風で大雨の天気予報が外れ、小雨の平日の今日、「美術館日和だ!空いてるはずだ!」と、喜び勇んで行きました。が、同じことを考えていた人々は多かったようで、それなりに人が入っていました。これが週末・祝日だったらものすごい人だろうな、と身震い。

海外の美術館は大抵どこも撮影OKなのですが、日本も最近撮影OKの所が増えているようですね。今回のピーター・ドイグも動画・フラッシュ以外は撮影OK。撮影OKなだけに混んでいる時はさらに混むだろうなとまた身震いです。

大作32点が年代別に空間を贅沢に使って展示されていますが、30代だった1990年代から2000年頭の頃の絵が一番見応えがあるので、入ってしょっぱなからドイグの世界に圧倒されます。本当に贅沢な空間。冒頭の絵は《天の川》。

ドイグの絵の特徴は、その分割構成と現実と幻想の間を現すような表現。また、画家本人が言うように、水の上と中の狭間を描くことが好きらしい。構成は特に横の3分割が多く、また、湖などの絵では実際の風景よりも水面の方に物語が詰まっているようにも見え、絵全体にストーリーの奥深さをもたらしています。

映画『13日の金曜日』のワンシーンから着想を得た《のまれる》

小津映画『東京物語』の「計算された静けさ」を参考に描かれた《ラペイルーズの壁》
《ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ》

まるで、映画の中のような、物語の中のような、「絵の中に入りたい」と思わせる絵。そんな中でも特に80年代の映画の楽しさを思い出させてくれる雰囲気の作品が一番惹かれました。この《ロードハウス》は、抽象表現主義のバーネット・ニューマンの絵(ジップと呼ばれるストライプを用い色を配色したカラーフィールド・ペインティング)を風景として捉えたら、という発想から生まれたそうです。

《ロードハウス》

この絵を見てまず思い出したのが、80年代の映画の世界。ストレンジャー・ザン、パラダイス、ブルーベルベット、青の三部作、バグダッド・カフェなどなど、なんてカテゴライズするのでしょう?アート系映画的なあの世界観。これら映画の共通点は、ストーリーではなく、空気感と構成とを五感で感じる映画というか。私は大好きだったけど、それが好きではない人には全く面白くない種類の映画。

あの世界を思い出したわけ。ああ、今思い出したけど、ぶっ飛んだところでケン・ラッセルのサロメとかもありましたね。懐かしい。

本当に80年代にティーンエイジャー時代を過ごせてよかったと思うのですが、とにかく映画と音楽が面白かった時代。映画では特に、文学の中でしか存在しなかった世界感や空気感が映像にされて提供され始めた時代。全てが新鮮でした。文化的に成熟して全てが出切った今見ても、あの時見た新鮮さは絶対味わえないわけで。新しい音楽も生まれて、MTVで映像と一緒に提供され始めた時代。映画を含め「映像」に皆が魅了されていた時代。

で、あの時代に感じていた文化やアートの空気感というものをこの絵にモーレツに感じたわけです。この《ロードハウス》、1991年作だし。勝手な憶測ですが、「どうりで」という感じ。写真ではわかりませんが、実物を見たら同じような感覚をわかってくれる人はいるのではないかなと思います。

大作たちに満足しながら最後のセクションの映画(ピーター・ドイグが友人と始めた映画の上映会)の上映会告知用のドローイングのセクションに行くと、あった、そのままあった。

ブルーベルベットの告知ドローイング
ストレンジャー・ザン・パラダイスの告知ドローイング

同じ時代を生きた画家の絵ってこういう面白さもあるのね、と思いました。

ピーター・ドイグ展、10月11日までです。絵のことをあまり知らない人でも「あれ?これどこかで見たことある、ゴーギャン?」「あれ?この色調、マティス?」みたいなものを感じられて面白いと思います。まさに先日書いたアウトサイダーアートに対して、ピーター・ドイグはバリバリ、アート界の王道を生きるアーティストな訳ですね。

美大の附属高校で絵を描いていましたが、絵って学校に行っても描き方を先生に学ぶわけではないです。ちょっとした色をつける方法をチョチョっと、教えてもらった以外に何かを具体的に教えてもらった記憶はほぼありません。どちらかというと、ただただひたすら描き、横や周りの人の絵に刺激を受けながら、なにくそ、と悶々と自分の絵を創り上げていく作業です。過去の画家の表現から学び、思考錯誤を経て、自分の絵を創り上げていく。普通に暮らしていたら無視できない場所に大御所達の作品や同じアート仲間の作品があるわけで、大なり小なり自然といろいろなものの影響を受けます。それが多分アート界に身を置いて絵を学ぶということなのかな〜と思います。現代の画家の展覧会、そういうものも感じられるかなと思います。

そういうこともあって、余計に「描きたいから描いただけですと?!」と、全くなんの計算も影響もないアウトサイダーアートにガツンとやられちゃうわけです、はい。

ここまでの大作の数々をまた日本に持ってこれる機会はないのでは、と思うので、ぜひ、見に行ってみてね。天気の良い日に行った人はぜひ北の丸公園経由で九段下から帰ると良いお散歩が出来ますよ。